★★☆ ナイト・ハーレム 01  ・・・夜空の美しい砂漠の宮殿で起こる様々な夢世・出来事。


 ☆それぞれの楽しみ

 朝は早くから空が晴れ渡り美しい。
 夜は夜で、まず沈み行く太陽の光が、鮮やかな夕日色になり、隅々までを染め上げて、見るも見事なものになる。
 極めて美しいのは、この星空。見ると思わず目を奪われてしまうのも、稀ではない。深い深い闇の色と、煌々しい数え切れないほどの星の光が、まるで、深い海底に散らばった宝石のようで、なんとも素晴らしい。
 それはもう、見て損はない眺めだ。いや、是非とも見るべき眺めだ。見なきゃ損すると言ってもいい。
 澄んだ空気が、冷たく辺りを包み込む中、清く正しく美しく在らねばならない宮殿の一角から、派手な笑い声が響いた。
「あはははっ! これは愉快! とても愉快です! ダーイ殿!」
 聞き覚えのある透んだ声を聞いた瞬間、クレースは肩に"義務"とか"責任"という名の空気が重くのしかかってくるのを感じた。
 きっと自分は遠くない将来、これらに押し潰されてしまうことだろう・・・。
 そっと胸元の首飾りを訳もなく握りしめ、己を呪うかのようにぶつぶつと呟き始めた。
「これも仕事・・・これも仕事・・・世の中にはもっと過酷な仕事をしている者もいる・・・これくらい大したことじゃない・・・これくらいのことで負けるわけにはいかない・・・大丈夫、大丈夫、ちゃんとやれる・・・・・・」
 ぶつぶつぶつ。
 クレースは己を静めてから、力ない一歩を踏み出した。
 接客室。
 薄布で作られた扉など、なんの意味もない。宮殿のお上品な人たちだからこそ、成り立つ扉というわけだ。
 深夜だということなど、なんの抑えにもなってない様子で、中の人間たちは笑い喋くり合っている。
 ・・・すごいアルコール臭と、目に染みるほどの煙が、そこから漂ってくる。
 とても入りたくない。
 出来ることなら、この場から、何も見なかったことにして、立ち去ってしまいたい。
 出来ることならば・・・!!
 無理だ。いつものように諦めるしかないじゃないか・・・。
 心で泣いて、現実で汗を拭う。
 大きなため息をひとつ吐いた後、意を決したように声を出す。
「すみません、クレースでございます。失礼いたします・・・」
 美しく手触りのよい布をふんだんに使った扉をくぐると、そこは・・・。
「・・・・・・」
 享楽の都だった・・・。
 ・・・いや、違う。
 とっさにこの辺りで一番大きくて高級な娼館を思い浮かべてしまった。
 そうではないだろう、自分。
 酒と煙草と女人と・・・食事と金銀宝石に見たこともないような果物の数々。
 とりあえず金さえあれば手に入る、想像に容易い物々が揃っていた。
「ん? なんだ、クレースじゃないか。どうした? 何のようだ?」
 我が主シラギは、その金に塗れた世界に面白いくらい溶け込んでいた。
「おお、これがクレースというのかね? 確か新しい従者だとか言っていたかのう・・・」
「そうだ。これが今の私の従者、クレースだ。父の知り合いの商人の息子だったかな・・・確かそうだったと思う」
「ほほお。父上殿の・・・なるほど、ふむふむ・・・ほおぉ」
「あ、あの・・・」
 酒と煙草と白粉臭い顔を近づけないで欲しい。後、髭も嫌なのだが・・・さすがにこれは言えない。
 周りにいる女人たちも、興味深げに食らい付くように見ないでクダサイ・・・。
 どんなに姿形が美しかろうと、まじまじと一番間近で見てくる太った髭面の親父と同じような匂いをさせていては、
魅力は半減以下だとつくづく思ってしまったクレースだった。
「ははは。どうしたのです? そんなに見つめて。これのどこが珍しいのですか?」
 晴れやかに言って陽気に笑うシラギ。
 ・・・自分だってわかっている。どこからどう見ても、自分が標準的なアビールの一般市民だということくらい。
「うむぅ・・・む。いや、ただなんとなくなんだが・・・。煙草の煙に慣れすぎて、ちょっと目が見えにくくなっていてね。
せっかくだから、よく見て、顔を覚えていこうかと思って・・・」
「ははは! ダーイ殿は物好きでいらっしゃる!」
 酒が入ると、どこでも馬鹿のように陽気になるシラギが笑いながら失礼だと思われる言葉を吐いた。
 喋りながらじろじとと見られる。
 間違いなく酔っ払いだ。そして、どうしようもなく凝視されている・・・。
 気持ち悪い・・・。
 勘弁して欲しい・・・。
 なんでこんな目に・・・。
 はっ!
「そうだ! シラギ様! いったい今を何時だと思っていらっしゃるのです!! もう真夜中も過ぎて、深夜ですよ!
いい加減にしてくださいませ!! 皆、迷惑をしております!!」
「うるさい。黙れ。そんなはずない。言いがかりを付けに来たのなら、帰ってもらうが?」
「なっ・・・!?」
 なんだ、このくそ偉そうで、ぞんざいでふてぶてしい態度はっ・・・!?
「なんだ? 文句でもあるのか? 明日の昼にでも皆に聞いて回ればいい。皆、私が聞くと全く煩くありませんでした、なにかございましたか、と答えるぞ?」
「なんてことだ・・・っ!!」
 明らかに権力の乱用じゃないか、それはっ!!
 でもそれを言ったが最後、この場で首をはねられそうな勢いだったので思わず押し黙ってしまう。
 そんな自分が憎くてカワイイ…。自分の身はかわいいだろう? 商人の息子魂だ。
「んん? どうした? どうせ、もう言う言葉がないのだろう? 最初から分かっていることじゃないか。
 実は結構馬鹿だな、お前は」
「なっなっなっーーー!! なんてこと言うんですか! あなたはっ!!
 酔っているにしても、それはいささか言葉が過ぎると存じますが!?」
「煩いな。お前は誰の従者だ?」
「シラギ・フォーラー様の従者ですが?」
「はっはっは! この従者君もなかなか厚顔無恥だな!」
「失礼なこと言わないでください! 私は聞かれたから答えたまでです!」
「しかし、いくらなんでもあの場面で、ああ言うのは結構、面の皮が厚いと思うが・・・」
「正直者なんです、ただの!!」
「本当はただの馬鹿のくせにな」
 あっはっはと腹を抱えて笑い出すシラギ。それにつられたのかダーイと呼ばれた男まで一緒に笑い出す。
 大太鼓をドラで思い切り叩いたような、太くて煩い声だった・・・。
「あっはっはっは!」
「はぁーっはっはっはぁ!!」
「あああ〜・・・もう嫌だぁ〜・・・」
 一人悲痛な顔をしたクレースは、諦めて部屋に帰ることにした。どうせ、いくら言ったって聞きはしまい。毎度のことだ。
「・・・それでは失礼いたしました」
「あ、まだ待て」
 ・・・引き止めるなよ。ここは!
「少しくらい飲んでいけ。ダーイ殿は各国を渡り歩く酒商人だぞ? いい酒がたくさんある。お前も酒好きだろう?」
「・・・まあ。嫌いじゃありませんけど・・・」
「っかー! 若いのに、年よりじみた物言いをする奴だな、君は!
 ・・・まさか、わしの酒が飲めんなどと、言うわけないよなぁ・・・?」
 その顔で迫られると、山賊に襲われているような気分になってくるのですが・・・。
「大丈夫ですよ、ダーイ殿! こう見えてもこいつは酒飲みですからな! 面白いようにグイグイ飲みますよ!」
「・・・ほほぅ。それはいい! やっぱり若い奴は、がばがば飲まなくてはな!!
 いい飲みっぷりを期待してるぞ!! グレース君!!」
「・・・私はクレースですが・・・」
「グレースじゃないのかっ!?」
「うひぃ・・・グレースでもいいです、もう・・・」
「よし! じゃあ、さっそくお前飲め! クレース!!」
「あ、ちょっと・・・! それはシラギ様のグラスでしょう!?」
「構わん、許す! 飲めぇ!!」
「がっはっはっは!!」
「あ、あのっ・・・ちょっと、ダーイ・・・様!? なんでそんなに並々に注がれるのですっ!?」
 だらだらと零れているのに、果たしてダーイは気づいているのか。
「はっはっは! そんな細かい事を気にするな! 男だろう!?」
 ぐい、と男らしく差し出されたグラスにはぎりぎりまで注がれた高級らしい酒と、その零れつづける酒で濡れた、ダーイの男らしい太い手があった・・・。
 う。なんか嫌な光景・・・。
「どうした! クレース!! せっかくダーイ殿がついでくださったんだ! 飲まなくては失礼にあたる!」
「は、はぁ・・・」
「がははは! 失礼とは思わんが、これはちゃんと飲んでもらうぞ、グレー君!!」
 もう名前が違うことを訂正する気力はなくなっていた。
「飲め!」
 横からは主人が。
「ほら飲まんかぁ!!」
 目の前からは髭面の親父・・・いや、ダーイ様が迫ってくる。
 前門の虎。後門の狼・・・。
 恐ろしく嫌な状況。
 止めるどころか、逆に飲まされる立場にまで追い詰められていることに、クレースは気づきたくなくて、気づかないふりをした。
「ほらほら、飲まないのかぁ!? クレースよー!?」
 絡み酒ですか、あなたはっ!!
 楽しそうにクレースの肩に腕を乗せて、絡んでくるシラギ。
「そうじゃ、そうじゃ。早く飲まんかぁっ! なあ!!」
 どうでもいいですけど、あなたさっきから方言でてないですかっ!?
「おらおらおらぁー!!」
 ぐいぐいとグラスを付きつけてくる。
「い、痛っ・・・! 痛いですって! お二人とも・・・!!」
「じゃあ、飲めよ」
「そうじゃ、はよ、飲め」
「は、はぁ・・・」
 どうしようもなくなって、でもある意味やっとグラスと受け取れた。
「全部飲めよ」
「一滴でも残したらしばくぞ、あぁ・・・!?」
「わ、わかってますよっ・・・!!」
 このおっさん(ダーイ様)はどっかのヤクザかっ!?
 本物に通用しそうな迫力があるだけに、怖い。
 本物に見える・・・。いや、見えるだけであってくれればいいのだが・・・。
 ぐいぐい、ぎゅうぎゅうと身体を押し付けてくる二人の酔っ払いに屈したクレースは、言わされる形で声を張った。
「で、ではっ! い、いただきますっ!!」
 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ・・・。
「おぉ〜! いいぞ、一気一気!」
「よーし! いい呑みっぷりじゃあ! わしの秘蔵の酒をもう一本あけてやろうかのぅ・・・!!」
「・・・・・・」
 ゴックン・・・。
「・・・ふ」
 息に濃いアルコール臭が混じる。
 自分でも気持ち悪いのか、気持ちいいのかよく分からなくなる。
「うまいか? うまいかぁ?」
「美味いだろう、ダーイ殿のお墨付きの酒だぞぉ!!」
 がっはっは、あっはっは、と激しく笑いを合唱する呑んだくれの勢いに、押し潰された夜だった。
 よく聞くときゃあきゃあと言った、若い女の嬌声もたくさん聞こえてきて…ああ、こんな醜態……悪夢だ………。
 クレースは圧迫感に任せて意識を手放した。




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